2018/05/05
バルト三国と言われる国は、バルト海に面するエストニア、ラトビアと、そしてリトアニアの3か国になります。この3つの国は民族や言語、文化の面ではそれぞれ独自の特色を持っていますが、本質的にはよく似た国と言えるでしょう。
この3国の地理的要素が、それぞれを融合させる共通の歴史をもたせたと言われているのです。今回は、このバルト三国の歴史を中心にご紹介します!(history of baltic)
目次
バルト三国の概要
この3国の位置は日本付近に置き換えると、サハリンの北からオホーツク海にかけての緯度になります。そのために冬の寒さは厳しいと言われ、多くの湖・沼・河川は凍結をします。しかし海岸線沿いは、ヨーロッパの西を流れる暖流のおかげで凍ることはありません。
地理的には標高の高いところはなく、最も高いところでも300mくらいと言われています。どこへ行っても続く森林と低い丘陵地、あまり肥沃ではなさそうな畑が続き、3国ともあまり風景には変わりがないと言われれいます。
バルト3国の面積は、3つ合わせても17万㎢あまりと、日本の面積の半分くらいの大きさです。そして人口は約800万人しかおらず、神奈川県ほどの人口になります。
バルト3国の独立
バルト三国が独立していた時代と言うのは、それほど古いことではなく、また期間も長くはありません。このバルト3国は北欧・東欧の帝国や、王国の間で身動きがとれなく、周辺諸国の餌食にならざるおえなかったのです。
おおまかにお話するとスウェーデンやポーランド、そしてドイツやロシアに次々と支配された歴史をもっています。
最初の独立は第一次世界大戦後、その後はソビエト連邦の支配を受けて1991年に独立しました。独立からわずかまだ27年の国家ということになります。(2018年現在)
第二次世界大戦までの独立
さてここバルトに最初に人々が住んだという記録は、紀元前後であると言われていますが、あまりさだかではありません。この地域のエストニア語は、アジア系のフィンランド語と同じ系統であり、キリスト教が広まる以前はこの地域で広く使われていたようです。
その後ヨーロッパ語族のリトアニア人とラトビア人が、こちらに移動して来ました。その頃バルト地方は、琥珀の産地として西ヨーロッパに知られるようになりました。
中世の頃はこの地域はスウェーデンやポーランド、ドイツやロシアなどの周辺諸国から、政治的・軍事的な影響を受け続けましたが、唯一リトアニアだけが大きな国となって、ロシア方面に勢力を広げて行きました。
近年にはロシアのロマノフ王朝が革命によって倒れた後、その支配から逃れて独立をすることができました。多くの紛争はありましたが、第二次世界大戦の直前までのこの時期が、バルト3国にとって最も平和な時期であったといわれています。
バルト3国の「人間の鎖」
ところがレーニンの後継者であるスターリンが、軍事的な圧力を強めるようになって、ソ連とナチスドイツの裏取引によって、バルトはソ連に併合されてしまいます。
スターリンの政策が始まると、多くのバルトの人々がシベリアへ送られ、わずかに運の良い人だけがかろうじて、西側諸国へ脱出しました。
このソ連とナチスドイツの裏取引は、世界の人々にはもちろん知らされてはおらず、この取引のポーランドの分割・バルトのソ連併合が公に認められたのは、ゴルバチョフ時代になってからになります。
ソ連との併合後都市労働者として、ロシア・ウクライナから入って来た人達に危機感を抱いていたバルトの人々は、併合された経緯を知るとともに独立運動が高まってきました。
それが最高潮に達したのが「人間の鎖」といわれた、1989年8月の出来事でした。これはタリン・リガ・ビリュニュスの、各都市の間の620kmが人々が結ばれたものになります。
もともとこの人間の鎖は、ヨーロッパ各軍縮運動の方法として、軍事基地を人間の輪が取り囲むというものでありました。
しかしバルト3国では、ドイツソ連不可侵条約締結50周年記念日にこの条約に抗議して、そして独立を求めて200万人に人々が人間の鎖を作ったのです。
しかしエネルギーのほとんどをロシアに頼るバルト3国は、経済封鎖などに会い、ロシアの軍事力の前に屈することになりましが、1991年8月のソ連のクーデターの失敗によって、9月に独立を認められることになります。そして現在に至っているわけなのです。
おわりに
現在のバルト3国は旧ソ連の中では、生活水準も高く工業化も進んでいます。まだまだ西側諸国に比べると遅れてはいますが、これからを期待される国としてEUへ加盟もしています。
まだまだ観光化されていないため、中世の町並みや多くの自然が残っていて、他のヨーロッパ諸国とは違ったものを感じられるのではないでしょうか?
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