2018/05/05
大航海時代とは、15世紀初頭から約200年間、スペインやポルトガルをはじめとする西欧諸国が、海外へ進出した時期のことをいいます。
その原動力となったのは、インドや東南アジアなどの東方諸国に向かう、交易路開拓の意欲だったのです。今回はこの西欧諸国の、大航海時代についてご紹介します!(age of discovery in Europe)
目次
コロンブスの大西洋横断計画を援助
当時ヨーロッパでは人々の生活が贅沢になって、東方諸国が産出する宝石や絹織物、また香辛料などの需要が高まっていきました。
これらは地中海を経て輸入されていましたが、その交易路を握って富を独占していたのは、ヴェネツィアやイスラム諸国の商人たちでした。
彼らを制して貿易権を握れば、莫大な富が転がり込むというわけです。スペインやポルトガルはこう考えていたために、地中海を経由せずに東方に達する交易路の獲得に乗り出したのです。
15世紀後半のポルトガルは、アフリカ大陸南端の喜望峰(きぼうほう)を回る航路の開拓を始めました。一方でレコンギスタ(国土回復運動)に明け暮れて遅れをとってしまったスペインは、ポルトガルとは別の進路をとる必要にせまられたのです。
やがてレコンギスタ(国土回復運動)が完了するとスペインは東方へのキリスト教の布教と領土拡大、貿易による富の獲得を目指して、かねてコロンブスが提案していた大西洋横断計画を援助することとなりました。
新大陸貿易を独占し黄金時代を迎える
1492年10月コロンブスは太平洋を横断して、バハマ諸島の1つに到着しました。これをアジアの一部だと信じたスペインは、領有権を獲得するために、ポルトガルとトルデリーシャス条約を結びました。
これによって大西洋を横断する境界線より、西側(新大陸側)の発見地はスペインが、東側はポルトガルが領事することが定められ、スペインは新大陸貿易を独占して黄金時代を迎えたのです。
1503年スペインは、新大陸貿易をつかさどるインディアス通商院を、セビリアに置きました。このセビリアの街は大西洋に注ぐグアダルキビル川を、約90kmさかのぼった場所に位置しています。
ここは内陸港であったために、海からの外敵に襲われる心配がなかったのです。
またグアダルキビル川によって内陸の都市とも通じていて、陸路輸送の便も大変良かったのも特徴です。このような地理的条件が揃っていたために、セビリアは貿易の拠点に選ばれたのです。
セビリアとトレドの街の明暗
それからは新大陸が産出する金銀は、すべてセビリアへ運ばれるようになりました。17世紀半ばまでにもたらされた金は約18万トンもあり、これは全ヨーロッパが保有していた量の、5分の1にまで達する産出量でした。
銀はそれまで全ヨーロッパが保有していた量の3倍に相当する、約160万トンが流入したために、セビリアは「まるで銅貨のごとく銀貨が流通している」と言われるほどに、繁栄の頂点を極めたのでした。
一方レコンギスタの時代に、天然の要塞都市(ようさいとし)として栄えたトレドは衰退しました。タホ川に三方を囲まれたトレドの地形は、要塞としては最適ではありましたが、大西洋からは遠すぎるために、貿易の拠点とするには不向きだったことが挙げられます。
このように時代の変化が、セビリアとトレドの2つの街の明暗を分けてしまったのでした。
おわりに
このように国土回復運動と大航海を同時に推進したスペインは、一躍世界の大国としての地位を築きあげていきました。
そのスペインでは、ハプスブルク家のカルロス1世(1516~1556年)が王位につき、神聖ローマ皇帝もかねてカール5世として、ドイツにも君臨しました。
この時代のドイツは宗教改革によって国内が混乱していましたが、スペインは大航海の推進と、それによって蓄積した国力で領土を広げていきました。
ヨーロッパではナポリやシチリア、ネーデルランドを支配し、新大陸ではアラスカやインカの両大陸を滅亡させて、その広大な領地を植民地としました。
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