2018/05/05
平和記念公園には色々な所で、折り鶴を見かけます。日本で折り鶴と言えば伝統文化の一つでしたが、最近では平和のシンボルとして知られています。このような平和を願う平和記念公園と、原爆の悲劇と被爆したものを展示し、後世に個残している平和記念資料館をご紹介します。(Thousand paper cranes OROGAMI & Hiroshima Peace Memorial Museum)
目次
佐々木禎子の折り鶴
佐々木禎子さんは2際の時に被爆してしまい、外傷はなかったもののそれから9年が経った、昭和29年(1945年)に白血病と診断されて入院を余儀なくされました。
その後約8か月の闘病生活を送る中で、自身の回復を祈って折り鶴を折り続けました。当時折り紙は大変高価なものだったので中々手に入らずに、お菓子の包み紙などを小さく小さく切ってから、折り鶴を折っていました。
しかしその思いも届かずに、昭和30年(1955年)10月25日に息を引き取りました。佐々木禎子の死をきっかけに、原爆で亡くなられた子供たちを偲ぶために、募金が集まり平和記念公園の中に「原爆の子の像」が作られました。
この話は世界にも広まり、今では国内外から折り鶴が届けられていて、その数は年間で約1万羽、その重さは約10tにも及ぶそうです。
原爆の子の像
原爆の子の像は、その象の頂上に少女が折り鶴を捧げている、高さが9mのブロンズ像になります。また石碑に、「これがぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」と刻まれています。
そして少年や少女たちの気持ちに感動した、ノーベル物理学賞受賞者の湯川秀樹博士の筆の、「千羽鶴」が塔内につるされてあります。
先ほどの佐々木禎子さんのお話でもあったように、年間通してたくさんの千羽鶴がささげられているので、別名「千羽鶴の像」とも呼ばれています。
平和記念公園
平和記念公園は原爆死没者の慰霊と、世界の平和を祈念して開設された公園で無料で利用出来ます。ここはもともと江戸時代から昭和の初期まで広島市の繁華街として賑わっていました。しかしその町も昭和20年(1945年)8月6日に、人類史上初となる原子爆弾よって破壊されていまいました。
その被爆後、爆心地周辺を恒久平和の象徴の地として整備するために、平和記念公園の建設が進み、昭和30年(1955年)に完成しています。園内に原爆ドームや広島平和記念資料館がある他には、平和の願いがこめられたモニュメントや、被爆したアオギリもあります。
広島原爆資料館
この広島原爆資料館には、被爆資料や遺品を通して、世界の人に核兵器の怖さを伝え、「ノーモア ヒロシマ」を訴えています。本館は改修工事で閉館していますが、2018年7月にリニューアルオープンを予定しています。
この資料館には、被爆の惨状を映している写真を通して、昭和20年(1945年)8月6日広島に何が起こったのかを伝えています。
本館では2006年(平成18年)に、戦後建築物として初めて、国の重要文化財に指定を受けています。東館は平成29年(2017年)4月にリニューアルオープンをしました。ここでは被爆者証言ビデオコーナーも設けられています。
開館情報:3月~7月 8:30~18:00 / 8月 8:30~19:00 / 9月~11月 8:30~18:00 / 12月~2月 8:30~17:00
休刊日 :12月30日・12月31日
見学料 : 大学生以上 200円 / 高校生 200円 / 中学生以下 無料
おわりに
2016年5月27日に、米国のバラク・オバマ元大統領が、当時では現職の大統領として初めて広島を訪れました。1945年の被爆時は、この辺りにはおよそ6500人が生活をしていました。
そして8月6日爆心地から一番近かった広島市の市街地は、一瞬にして廃墟と化してしまいました。当時の様子を広島平和資料館で目に焼き付けて、世界から核兵器がなくなる日をみんなで祈りましょう。
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